私には夢のカリフォルニアのはずだった。。。。。。。 8月1日

久しぶりにサンフランシスコに降り立った。それにしても色々と旅をした。調べてみれば、何と、一ヶ月で50000マイルも飛行機に乗っていた。体もおかしくなる訳だ。話を戻して、サンフランシスコ。何と5年振りである。一時は、一ヶ月に一回位のペースで行っていた。
サンフランシスコからサンノゼへ向かうハイウエイ101(ワンオーワン)。所謂シリコンバレーと言う場所。この100キロ程の中に、サンマテオ、レッドウッドシティ、クッパチーノ、サンタクララ、と街が続き、数々のIT企業が看板を上げている。実はエキサイトはそのシリコンバレーでも代表的な会社であった。
今、私が指揮を執っているこのエキサイト株式会社は、シリコンバレーに本社を置き、その日本法人として97年にスタートをした。私は日本法人で99年に採用されたのだった。
当時の米国エキサイト社はまだ社員が300人ほどの所帯。しかし活気があり、皆活き活きと働いていた。98年の11月に、面接の為に初めてこの会社を訪問した事を今でも昨日の事の様に憶えている。私は4時間に及ぶ面接の末、採用となり、99年の1月から赴任した。
私の当時のキャリアパスは日本法人の責任者として実績を残して、このシリコンバレーの本社で働くことを目標としていた。当時のITはアメリカ中心だった。アメリカの本社側で働きたいと言う夢を持って頑張っていた。
エキサイトは順調に成長している様に見えた。従業員は数年で3000人を越えていたし、いわゆる時価総額は一兆円を越えていた。レッドウッドシティでも一番の会社の様に思えた。しかし時価総額経営は崩壊して2001年9月に会社更生法の手続きをとり、2002年2月に更正することなく消滅した。エキサイトというサイトは日本、米国、ヨーロッパへ切り売りされた。そして今、日本は現在の親会社である伊藤忠商事が買い上げ、日本の伊藤忠商事の子会社として再スタートして現在に至っている。
社内は英語のドキュメントもなくなり、役員会も英語から日本語へ。会社は大きく変わっていった。そして私のキャリアパスも変更を余儀なくされた。しかしそれを今では肯定的に考えているので、悔いも後悔もない。
ただ、何となくサンフランシスコを避けていた。エキサイト本社の話もあまりしたくないし、オフィスの残骸も見たくなかった。しかしけじめをつける為に、苦労を共にした役員と一緒にレッドウッドシティへ車を飛ばした。
オフィスの殆どはまだ借り手がなく空きオフィス状態であった。メインオフィスへ行くと、何かセミナーをやっていた様なので、何と中に入ることが出来た!!! オフィスの中はそのままであった。所々にエキサイトのロゴが残っていた。ミーティングルームもそのままであった。打ち合わせをしていたこと。何もかもが懐かしい思い出である。あの頃のメンバーはどうなっているのであろうか?
行って良かった。なぜかすっきりした。訪問先では皆、日本法人の復活を祝福してくれた。会社は無くなったがエキサイトのサイトは米国、日本、ヨーロッパで残っている。いつかワールドワイドブランドとして再出発するのが次の夢である。
夢が破れたのではない。夢が膨らんだんだ。
そしてそれにまだ挑戦しているんだ。
山村幸広
【関連リンク】
by yamamura2004
| 2006-08-01 19:48
