そして、必ずと言っていいほど聞かれる質問が、「関西の方はお家にたこ焼き機があるんですよね?」となる。これは誤解である。小生の知っている限り、大阪の方のお家には確かにたこ焼き機があるが、京都の人のお家にはたこ焼き機は少ない。小生の場合も、お好み焼きには自信があるが、たこ焼きには自信がない。多分、材料は想像がつくがうまく焼けないような気がする。
とは言っても、たこ焼きには子供の時から色々な思い出がある。その頃はたこ焼き6個で30円であった。1週間に2,3回は必ず買って食べていたように記憶している。ちなみに同時期に大阪で買ったら、3個10円で、その安さにびっくりした。夏に飲む飲み物は、「冷やしあめ」というしょうがベースのジュースか、グリーンティーというお茶をベースにしたジュースである。多分一杯、30円ぐらいであったと思う。これも東京ではなかなか見られることはない。サイズも今よくチェーン店で見られるような大きなたこ焼きではなくてもう少し小ぶりであった。いわゆる屋台のたこ焼き屋さんは、商店街には必ずあった。30円を握り締めて、おやつによく買いに行った。別にタコが好きなわけでもないが、たまにタコが2つ入っていると、「ふたごやーー。得したわ。」なんぞほざいていた。今のようにマヨネーズをかけるという事はなかった。お好み焼きもマヨネーズは別売であった。
大学時代、京都から奈良へ通っていたが、免許をとってからは車で通っていた。20万円で買った(しかも親に借りて買った。)中古のギャランラムダという三菱車であった。帰り道、丁度、近鉄奈良駅の近くに、同じ年くらいの2人の兄弟がやっている「白川」というたこ焼き屋があった。4畳半ぐらいの小さな店で、そこはいわゆる町外れの、決して立地が良い場所ではなかったが、味が良いので結構流行っていた。京都への帰り道、車を停めてよくこの店でたこ焼きを買っていた。
「ありがとうございました。」大きな声で御礼を言う兄弟の姿が印象的であった。しかも店からでてきて、車が見えなくなるまで、道路で頭をさげている。こんな店はなかった。いくら流行ってもその姿は変らなかった。味とサービスと挨拶。流行らないはずはなかった。
それから20年が経ったある日、学芸大学の商店街をフラフラと歩いていると、たこ焼き屋が目に入ってきた。ちょうど小腹もすいてきたところだったので、立ち寄って店先でたこ焼きを頂いた。しっかりとした味つけのたこ焼きを食べて、ふと店の説明が書かれた看板を見た。「奈良の小さなたこ焼き屋でした。」という紹介と共に見覚えのある店のイラストが目に飛び込んで来た。「え。。」と思い、店の名前を見た。なんと「白川」と書いてある。「あの兄弟だ!!!!」びっくりした。嬉しかった。あそこから東京へ来たのかと思うと本当に嬉しかった。思わず店の人に「あたしゃ、この店の客だったんだ。」と、言いそうになった。でも言わなかった。
あの時の事、大学時代の思い出が甦ってくる。授業、友人、先生、学園祭、恋愛。。。 あの素晴らしい日々を思いかえしながら、あの「白川」のたこ焼きを食べている。まるでタイムスリップしたかのように。嬉しい事もはずかしい事も悔しい事もすべてが今では愉しい思い出である。
思わず頼んだ。「ビール頂戴!」
缶ビールを飲みながらたこ焼きをほうばる。至福の時間がここにある。人生の色々なシーンに音楽があるように、食べ物も色々なシーンを彷彿させるものである。
頑張れ!兄弟!!
山村幸広
【関連リンク】