その陰には、セルジオ越後氏が日本全国の少年団サッカーチームを訪問して日本人にサッカーを教えていたというファンダメンタルな事があり、その後、Jリーグの発足、そして中田選手以降の海外チームでの活躍という流れの中で、サッカー人気の基盤が出来上がっていったのである。これはどんな場合にも言える。例えば、スターバックスの成功の陰にはマクドナルドの存在があったと言われている。マクドナルドがコーヒーを浸透させていった基盤があってこそ、スターバックスの成功があったのではないかと。または、サントリーの「あかだまポートワイン」や「ボジョレーヌーボー」があってこそのワインブームであったりと。しかし、今となっては日本代表チームはもちろん予選を突破してワールドカップへいくものだと思って、日本国民は見ているだろう。要するにジーコは勝って当たり前という前提で闘わなければならない。
しかし昨日のニュースから色々騒動が起こっている。ジーコの「海外組はスタメンで使わない」というコメントである。ジーコは監督就任当初、調子の良し悪しにかかわらず海外組、いわゆる海外カルテットと呼ばれた選手たちにこだわった。それが批判を浴びたりしていた。ブラジルという、個人技がものをいうサッカーで育った人である。又、ご自身が「サッカーの神様」と言われた世界のヒーローであった。ロベカルといったスターが個人技で得点を決めていくサッカーで言えば、個人の能力を最重視してチーム作りをするというのが当たり前であった。しかし、この変化は一体何があったのであろうか? やはり毎日、見ている顔、練習を、練習試合を共にしてきたメンバーの方が、遠く離れた海外組よりも信頼してしまうのが人間であろうか? 真意はよくわからない。しかし何かがジーコの心境を変化させた。
しかし、試合メンバーを事前に発表する意図はなんだったのであろうか? なぜ当日のメンバー発表では遅かったのか? 今から国内組選手のモチベーションをあげていくのが目的であったか。国内組へ、「君たちを信頼しているというメッセージ」であったのであろうか。高原選手も中村選手も日本チームにとって重要な選手の一人であろう。点を取るという意味で、スペインでケガをした大久保選手を欠いた今、高原選手は重要であろう。又、中田、小野がいないのであれば、中村選手のフリーキックも出番があるであろう。彼らは、当然、出場するつもりで帰国したのだろう。
もちろん最終決定は監督である。監督が決めたことに選手は従わねばならないのだ。しかし一時帰国して戦おうという選手に、前もって「先発では使わない。」発言は、彼らのモチベーションに良い方に働くか、悪い方へ働くか? と考えると少し不安が残るし、今後のシコリにならなければよいと、余計な心配をしてしまう。ジーコ監督は彼らにアカウンタビリティ(説明責任)を果たして、彼らの今後のモチベーションをキープして頂きたい。まあ、もちろんそんな事はわかっておられるであろうが。なにせサッカーの神様ですから。ジーコが日本に来て鹿島でプレーをした事自体が今考えてもありえない、すばらしい事なのである。
高原・中村両選手も色々な思いもあるであろうが、これは「日の丸」を背負っての戦いである。日本全国の熱い思いを再確認して、小さいことにこだわらずに素晴らしいプレーを見せて欲しい。言葉ではなくプレーで証明して欲しい。
指揮官は結果が全てだ。盗塁と暴走は結果で評価が変わる。海外組をはずして勝てば名将と呼ばれるであろうし、もし負ければ「なぜ海外組をはずしたか?」と批判をうけるであろう。ようは勝てばなんでも成功体験で語れるし、負ければ敗戦体験になる。ジーコの判断は結果が90分で出る、非常に厳しい判断なのである。
私たちもワールドカップを楽しめるようになった今を生きている事を再確認したい。ほんの20年前は考えられなかった事なのである。日本代表チームがワールドカップへ行くのである。自国のチームを応援できる。なんて素晴らしい事であろうか。
サッカーを楽しもう。そしてその雄姿を誇りに思おう。
山村幸広
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