山村幸広の一日、一グラム

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 「鮨」
 昨日も鮨(すし)を食べた。

 私は鮨が好きだ。ほとんどの日本人は鮨が好きだろう。日本が世界に誇れる食べ物の代表はやはり、鮨である。鮨ネタの魚は骨がないので子供も大好きである。鮨には季節があり、技がある。これを食べず、その真の美味しさを知らずに死ぬ人生で、食を語れるであろうか?

 鮨の発祥は江戸時代といわれている、当時の鮨はいわゆるファーストフードである。屋台で始まった鮨屋は、風呂がえりにつまんで帰るという、手軽な庶民のファーストフードであった。現在でも、ちゃんと仕事ができる鮨屋でペースよく食べると、20分位で15貫ほどの鮨を食べて終了する事ができる。(その分、鮨屋の仕込みは時間がかかる。)

 鮨はその後、色々な地方で進化していく。しかし鮨は江戸前である。京都出身の私が東京で一番認めている物は鮨である。東京の文化や名産物は、江戸時代の参勤交代という制度の中、全国の地方から大名と共に職人や品物が集まりできたものがほとんどであるが、鮨は独自の東京文化であろう。

 冷蔵庫のない当時、最大の課題はネタの保存にあった。しかしその苦労が、江戸前の味を生んだ。いわゆる、「酢でしめる。」「煮る。」という方法で保存していったのだ。その技の副産物が、江戸前を代表する鮨ネタの「ずけ」「こはだ」「にはま」「かんぴょう」「えび」「あなご」「たまご」である。その中でも「こはだ」は鮨屋の最大の功績であろう。煮ても焼いても食えないまずい魚を立派な一人前の食べ物にしたのは、江戸前の仕事である。6月から7月にかけては、更に味わいと赤ん坊の肌のようなやわらかさを楽しめる「しんこ」(こはだの稚魚)を頂く事が出来る。これらの鮨が旨い鮨屋を江戸前と呼ぶ。いや、呼んで良いということだろう。そして季節に応じて最高の魚介が日本全国から集まる東京・築地から最高のネタを仕入れる事ができる鮨屋を、日本一(世界一)の鮨屋といえるのである。そんな鮨屋は東京でも数件しかない。その鮨屋を知っているか、いないか、それは人間としての財産をもっているか、いないかに等しいのである。そんな一軒を知っている私はなんと幸運な人間だろうと神に感謝するのである。

 私の鮨との出会いは、そんなにいい思い出ではない。子供の頃は、鮨は嫌いであった。生魚が嫌いであったため、食べる鮨は「かっぱ巻き」(京都では「きゅうり巻き」と言う。)で、母親からその時だけ「親孝行」と呼ばれた。そんな私が鮨通(これだけは自信をもって「通」と自画自賛できる。)になったのには、時間の経過と出会いがある。私に鮨の味を最初に教えてくれた師匠は12年間勤めた、トランスコスモス株式会社の奥田耕己氏である。師は仕事一本の人生を送られているが、師の楽しみは「食べる」事である。中でも鮨は週に1、2回食べられている。私の最初の江戸前鮨は赤坂の「喜久好」さんである。師からはよく「おまえには仕事は教えてやらんが、『味』は教えてやる。」と言われた。最初は正直、あまり味がわからなかった。1年間連れていっていただいて(回数は多分、15回程度)美味く頂けるようになっていった。舌が成長した。又、次の年は季節感も理解していった。当時(1987年)「喜久好」さんは素晴らしい手際のよさと江戸前の技で、客に満足のいく鮨を提供されていた。おみやげの特製「あなご弁当(鮨)」は、鮨めしに香り高く焼いたあなごをくだいて敷き詰めたもので、えびのだしで心地よく、まるでケーキのように仕上げられた「たまご」と、ご主人が「これが一番合う」とおっしゃる「奈良漬け」が添えられた筆舌しがたい味である。よく師から「次の日の朝に食え。」と言われて持たせて頂いたが、若かった小生は夜食にして至福の時間を味わっていたもんだ。

 その後、大阪へ転勤になってからは、師の行きつけである難波の「一半」さんへ、師が出張で大阪へこられた折によく連れていって頂いた。ここでは「鯛」という魚の王様の味を覚える事ができた。「一半」さんで「鯛」を食べたら他では食べられないと言っても良いだろう。築地には最高の魚介がすべて揃っているが、唯一入らないのが「明石の真鯛」である。これは釣り上げられる前から関西の料亭、鮨屋へ行き先が決まっており、築地には届かない。東京では夏場に「ほしがれい」という最高の白身魚(夏場の時季のみ、日に数枚入る。)を頂く事ができるが、やはり白身の王様は「鯛」である。よって私は幸運にも、なんの投資もせずに江戸前の鮨の味を理解でき、江戸前の最高のお店でも食べられない「鯛」、いわゆる白身の味を大阪で理解する事ができたのである。若い時分の、お金がない、又そんなお店と出会う事が中々できないという環境下で、これ以上素晴らしい贈り物が他にあるであろうか。師に改めて感謝する。よって私は鮨通になる事ができた。

そして、1996年、私にとって財産となる一軒の鮨屋と出会う事となる。それは次回説明させて頂く事にする。
山村幸広

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  • # by yamamura2004 | 2004-02-06 22:13
    焼酎「兼八」その2
    a0000002_193850.jpg 前回から引き続き、焼酎の話であります。

     前回の理由で焼酎を飲みだした私は、うまい焼酎探しを始める事となる。当時、大多数の人が、「焼酎は芋だ。」「やはり芋が王道。」と申された。そして芋焼酎の探検が始まる。「森伊蔵」「伊佐美」「はなたれ」「百年の孤独」、色々試させて頂いた。焼酎好きの方に、「何がおいしいですか?」と申しあげると大体、その人のお薦めがあり、「では一本差し上げましょう。」とやさしいお言葉を頂き、それに甘える。そして飲み方は、「芋はお湯で。」「いやロックで。」「水は前日からまぜて寝かす。」「お湯から先に注ぐ。」これも色々なアドバイスを頂いた。でも自分にはなにかしっくりこない。飲みなれていないので本当の美味しさがわからないのか? 小生は結構、食べながら飲む(結構、量も食べる方である。)ので料理との相性なのか? 悩める日々が続く。

     そんなときエキサイトの役員が沖縄出張の折に、土産にと泡盛を1本買ってきてくれた。沖縄での小宴で美味しかったものが、空港にたまたまあったので買ってきたという事だった。それは「残波」(マイルド25度)という泡盛。彼はそれまでの日本酒の友。小生との好みも多分似ているので、信用して家で1杯飲んでみた。美味い!香りがとっても良い。残波のような香り、そしてすっきりとしている割にひろがりのある味わい。多分、本当の焼酎好きの方には物足りないのかもしれないが、自分には美味しいと感じられる。そしてそれは自宅での愛用となった。あとから調べたら東京ではあまり手に入らないが、沖縄では最もポピュラーな泡盛であり一般的なものだった。何人かの焼酎好きにもお薦めしたが、結構評判も良かった。しかし泡盛がいいと言い出すと、又泡盛が集まってきた。「○○年物」「カメ出しで一般にはでまわってない。」芳醇で味わいもふかいコニャックのような、いわゆる「森伊蔵」系が集まる。でも自分にはしっくりこない。食事の後で語らいながら時間を楽しむ時にはあうのであろうか? それともまだまだ小生が焼酎の青二才である為、味がわからないのか?

     色々考えたが自分が飲んでいて美味しいと思うものを、と開き直った。熊本「米焼酎」、宮崎「麦焼酎」、土佐「栗焼酎」。なんだ、美味しい焼酎はたくさんあるじゃないか。自分は芋はあんまりあわないんだ。焼酎素人とよばれてもいい。自分がおいしい焼酎を飲もう。そして焼酎が本当に好きになっていたのである。現在のお気に入りは、

  • 大分「兼八」
  • 宮崎「銀の水」「中々」
  • 沖縄「残波」
  • 土佐「ダバダ火振」

     である。エキサイトのある宮崎出身の焼酎好きに聞くと「宮崎人は芋を飲むので、麦なんて飲みませんよ。」とほざく。でも宮崎の麦の絶品「銀の水」は素晴らしい。しかし麦の一品といえば現在、私が知りうる限り、大分「兼八」である。一言で表現すれば、「最高の焼酎の燻製。その香ばしい香りと味わいは、麦にカカオか炒りたてのコーヒーを合わせた感覚」か? しかし現在、一番手に入りにくい一品でもある。エキサイトイズムの焼酎担当に探させ、先日「兼八」原酒を2本手にいれたが、大切な方に進呈した。現在、私が知っている「兼八」が飲めるお店は青山は骨董通りの日本料理屋「椿」さんだけである。こちらの料理は、上品な器(さりげなく柿右衛門などもでてくる。)と酒飲みにはぴったりの肴を頂け、お値段も非常に値打ちのあるお店であるが、こちらでは「兼八」を頂くことができる。又、湯布院の「亀の井別荘」さんのレストランでも頂けた。もしご主人に「1本譲って頂けないか?」とお尋ねすれば頂けるかも知れないが、頼んだ事もなく、今後もお頼みするつもりもない。(でも欲しい。)

     「椿」さんはその他の焼酎や日本酒の品揃えもとてもセンスが良い。実はこちらのご主人は大のワイン好き。生意気かつ僭越ではあるが、ワインを頂ける私のとっておきのお店をご紹介したがたいそう気にいって頂き、ご愛用頂いているようで嬉しい限りである。多分、「椿」にもセンスの良いワインが置かれているのであろう。あれだけのワイン通が選ぶワインも楽しみである。

     という訳で、「兼八」情報をお持ちの方は是非、教えて下さい!! 現在、自宅での焼酎は、「銀の水」「残波」であるが是非、そこに「兼八」を加えたい。まだまだ小生の焼酎探検は続く。多分、一生。
    山村幸広

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  • # by yamamura2004 | 2004-02-03 17:11
    焼酎「兼八」
     エキサイトの山村です。いつもエキサイトを御利用頂き、誠にありがとうございます。また、日頃色々な分野にわたって、パートナー様としてお付き合いを頂いている方々にこの場を借りて御礼申し上げます。

     さて本日より、エキサイトでもブログサービスを開始させて頂きます。そこで恥ずかしながら、私もブロッガーとして参加させて頂く事となりました。私が18年間携わってまいりましたIT分野の話を中心にと思いましたが、どうも私の探求心は常に仕事だけにあらず、下記の分野にまで広く及んでおります。といいますか、本年40才を迎えまして、仕事だけの人生ではなく色々な自分の「愉しみ」を追求して行きたいという気持ちで、残り約半分ほどあるであろう人生を過ごそうと決意したからであります。その中での私の人生の永遠のテーマが、「仕事」「酒」「食」「健康」「趣味」のキーワードでございます。

     これらのキーワードでの話題を提供させて頂き、そのテーマでの皆様、諸先輩方のアドバイスや新たな知識を頂きながら、追求して行きたいと思います。できれば週2、3回のペースにて更新してまいりますので、宜しくお付き合いのほどお願い申し上げます。

    + ------------------------------------------------- +

     小生と焼酎の本格的な出会いは5年前に遡る。この出会いは多分自分の飲み方を大きく変えると同時に、私の寿命を10年、いや20年ほど伸ばしてくれるであろう出来事であった。それまでの私は、和食(鮨、蕎麦を含む)での飲み方は、ビールを2本程度、冷やした日本酒(おもに、新潟「鄙願」、長野「明鏡止水」、大阪「呉春」、和歌山「羅生門」、山形「ひとりよがり」等)を3、4合をくらって、二次会ではヘネシーを5、6杯飲んで、眠りに入るという飲み方であった。当然、こんな飲み方では体は悲鳴を上げる。1999年、その年の健康診断の結果は最悪であった。尿酸値は10を超え、ガンマGTP等の肝臓の機能は限界に近く、腎臓にはのう胞も2つできていた。それまで痛風発作は1回経験しており、最初に痛風を指摘されてから(27才時)8年が経過していた。

     1999年、当時35才、その年はダブルクリック社の社長を退任してエキサイトの日本法人責任者に就任した年であるが、その年の健康診断は、東京 広尾の日本赤十字医療センターで行われた。しかしこの健康診断は大きく小生を変えることになる。検査結果をもって先生の診断が始まった時を回想する。その小生の命の恩人といっていい先生(なかなかの美人、40才程度であったか)との主な会話は以下の通りである。

    先生 「かなりひどいですね。」
    小生 「すいません。」
    先生 「謝らなくてもいいのよ。いつも何を飲んでるの?」
    小生 「はずかしながら、上記のような飲み方です。」
    先生 「お酒が好きなのね。」
    小生 「多、多分」
    先生 「でもあなた、倒れる訳にいかないんでしょ?」
    小生 「多、多分。でも、職業柄、止めるのは無理でござる。」
    先生 「わかってる。でも倒れたくなかったら、私のいう事を聞きなさい。」
    小生 「はあ。。。。」
    先生 「まず、ビールは1本にしなさい。冬はグラスに2杯。そして日本酒の替わりに焼酎にして、ヘネシーをウイスキーに替えなさい。そうすればかなり変わるわよ。」
    小生 「で、ですか。参考にさせて頂きます。」
    先生 「飲めなくなるよりましでしょ。飲めない人生はつらいわよ。」
    小生 「御意に。」

     以上の御指示であった。

     「へん、焼酎なんか飲めるか。料理には日本酒なんだよ。ウイスキーは俺は嫌いなんだ。それにあれはオヤジの飲み物なんだ。(自分を棚に上げながら。)」と開き直っていたが、このままではいかん。

     という事で焼酎を飲みだしたのであった。それからは焼酎好きに「飲み方」「こだわり」「おいしい銘柄」の情報収集がはじまったのである。そして「森伊蔵」「伊佐美」「はなたれ」「百年の孤独」などうまいといわれている焼酎、手に入れにくいという焼酎を飲み漁る。そしてウイスキーを飲み始めた。最初、まずいと思っていたウイスキーもなかなかうまい物もある。このように小生の飲み方は一変してしまったのである。

     そして一年後の健康診断。その結果に驚愕をした。別に運動をはじめたわけでなく、飲む量、回数は減らず大きな努力もなしにその数値は驚く改善を示していた。尿酸値も肝臓の数値も「再検査をしましょう」から「経過を観察しましょう」に変化していた。なぜか嬉しかった。そして2年後にはすべてクリアし、腎臓の「のう胞」も消えていた。素晴らしい。あの女医様のお陰だ。なんというお名前か忘れたのが残念でならない。もし今、お会いする事ができれば会ってお礼をさせて頂きたい。それまでは「飲むな」「減らせ」「休肝日」ということしか言えない、無理だとわかっている事を要求する医者としか知らなかった小生にとってまさに、女神であった。ありがとう、先生。日赤医療センターでのエキサイトの健康診断はなぜか後にも先にも、あの年だけである。あの奇跡的な出会いに運の良さを神に感謝した。

     なぜ改善したか?先生は糖分の少ない飲み物でかつ「蒸留酒」を私に勧めたのである。多分あの先生も酒好きなんだろう。その効果は深くは知らないが改善され健康になったのは事実なのである。先生に一献。

     「タイトルの『兼八』の話しは何処いった???」申し訳ない。すっかり話しが、脱線した。睡魔も襲ってきよりました。「兼八」にいたる小生の「焼酎の短い歴史」は次回という事にさせて頂く。
    山村幸広

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  • # by yamamura2004 | 2004-02-02 11:06


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